SATOWEB(佐藤雄樹)

vol.6

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「3.11」

3.11 東日本大震災

あれから4年の月日が経ちました。

誤解を恐れずに言えば、早かったという印象が強く残ります。

被災された方々がこの4年間でどれだけの悲しみと苦しみと苦労をされたかなんて、僕には到底想像にも及ばないけれど、1日でも早く、元の暮らしに戻ることが出来るようにただただ祈るばかりです。

4年前の今日、僕はTwitterでその惨状を知りました。

災害時にライフラインが途絶えた時、Twitter(インターネット)の可能性を世間に知らしめた出来事だったように記憶しています。

テレビも映らず、電話も使えない、情報が錯綜する中、安否情報や救援信号、沢山のリツイートを目にしました。

あの頃は異様な雰囲気が漂っていて、関係のないツイートは皆が自粛するような流れだったし、もちろん公共の電波でもテレビは震災の情報しか流れていないような、インターネットや電波を通して、国の、世界の一大事だということがヒシヒシと伝わっていました。

長崎では、何変わらぬ日常があり、震災を知ったその当時もいつもと変わらないサロンワークをしている時でした。

その惨状を知った僕は、スタッフみんなに伝えて、Twitterを元に情報を得ていました。

広島かどこかの中学生が情報を得られない人達の為に、機転を利かせてNHKをUstreamで配信し、NHKもそれを認める、と言ったような事もTwitterで知りました。

営業中はそのUstreamをPCで見ながら、お客様やスタッフと固唾を飲んで見守っていました。

あの津波の映像もそれで知りました。

そんな中、LIMのカンタロウさんを中心にして、大阪の美容師さんが一丸となって「チャリティーカット」をしようと、Twitterで呼びかけているのを知りました。

カンタロウさんはその時確かシンガポールにいて、現場にいれない中、Twitterを使って大阪のスタッフの皆さんに指示を出していました。震災当日か翌日かは覚えていないのですが、圧倒的なスピードで記憶が正しければ200人くらいを集めるチャリティーカットをやったというのを知りました。

その様子を見ていた僕は、居てもたっても居られなくなり、「長崎でも出来ないだろうか」と考え始めました。

その時は、この一大事の中、誰しも皆が「自分に出来ることは何か」ということを考えたと思います。

僕はすぐに社長に相談して、うちのサロンを使って長崎の美容師さんを集めてチャリティーカットをさせてくれと頼みました。

答えは「GO」。

色々な準備をして震災から3日後の3月14日に長崎美容師支援活動と表してチャリティーカットを行いました。

カット2000円、前髪カット・ヘアアレンジ500円を募金の変わりに頂き、インターネットと街頭案内で人を集めました。

新聞社やテレビにも報道して頂き、沢山の方々が集まってくれました。

惨状を知って、何か出来ることはないか、でも何をすればいいのか、そんな方達があの時は沢山居たと思います。

美容師という仕事を通して、何か被災地の方々の力になれる事があればやるべきだ、後先のことなど考えてもいなかったように思います。ただ使命感のような、そんな気持ちで形になったチャリティーカットでした。

長崎の美容師さんも数サロンさんが賛同してくれて、月に1回チャリティーカットをやるように決めました。

2回目、3回目、4回目。

少しでもいいから続けよう、そう思って始めたチャリティーカット。

ただ悲しいかな回を追うごとに、参加するスタッフ、お客様の人数と集まる募金額も減っていきました。

そして5回目のチャリティーカットが行われることはありませんでした。

お店としても色々な事情で続けることは困難という判断でした。その判断は自分が屋号を持ったことが無いので何も言えません。

ただ後悔というか、今でも心残りなのは、距離のせいにはしたくないけれど、やはり遠く離れた九州ではあれだけの惨状を目の当たりにしても、数ヶ月経てばどうしても風化していくこと、自分も含め、震災発生当時の熱量を保てなかったこと、あの時、お店に何が何でも続けて欲しいと懇願していれば良かったのか、それがダメなら自分1人でも街中でチャリティーカットを続けていれば良かったのか、今でもどうすれば良かったのか分からないのが本音です。

その大阪での取り組みをきっかけとして、全国の美容師さんがチャリティーカットをやり始めて、組織化する団体も出てきました。

長崎美容師支援活動も、その大阪の取り組みを引き継いだ方のご尽力でFBグループで繋がり、その九州支部という位置に一時はつかせて頂きました。

結果として、その団体からは辞退させてもらうことになったのですが、はじめは「何か出来ることはないか」と各個人の想いから広がった活動が、活動団体へと変わり、全国支部に広がり、支援という形を通して団結していきました。

そのFBグループでは、長崎での活動がなくなってからも、毎週のようにボランティアで被災地に出かけたり、津波でお店も道具も失ってしまった美容師さん達に、使わなくなったシザーや道具を寄付されたり、様々な活動報告がなされていました。

正直に書けば、辞退させて頂いた理由は、その方々の想いの強さと行動力に、自分達の何も出来ない不甲斐なさが募り、また申し訳なくなり、その葛藤から抜けられなかったことが理由でした。また九州支部という立場を任せて貰えるほど、僕は何も出来ることがありませんでした。

(辞退理由の)考えをまとめてメッセージしますと言って、全然整理出来なくて今まで出来なかった自分もいます。代表の方やそのメンバーの方々には本当に申し訳なく思っています。

そのくらいの気持ちなら、チャリティーカットなんかやるなよ、中途半端だ、結局自己満足なのか、馬鹿にするな、そう思われても当然で、何の反論もありません。続けることが大切だったとは今でも思いますが、ただあの時、そこまで先の事を考えて、そうなる位なら何もやらない、とりあえず様子を伺う、といったような傍観者にはなりたくなかった、むしろ、あの時は頭よりも身体が先に動いてた、というのが本音です。

先述したように、同じ美容業界にもいくつかの支援団体が発足して恐らく今も不定期ではありますが活動されているようです。
とても素晴らしいことだと思います。

時間が経つにつれ支援の形も変わりました。

僕はチャリティーカットを続けられなくなった時、本音を言えば、「なんでやねん」と思っていたけれど、反対に、支援やボランティアといっても、それに専念出来るほど自分に蓄えがある訳でもないし、被災地に行く時間もないし、本業の美容師の仕事もあるし、現にこの目で惨状を見た訳でもない。これからの自分に出来ることは、いち一人の人間として、自分の仕事を見つめ直し、募金に協力したり、その後の原発問題や放射能、瓦礫問題、仮設住宅や国の復興支援についてを知り続ける、考え続けることを止めない、ということで、そういった方向性にシフトしていきました。

震災以降、世の中は情報の扱い方や個人の生き方、働き方や考え方が劇的に変わったように思います。

3.11という日は、今後ずっと語り継がれるだろうし、その時代を体験した僕たちはそれを取り巻く環境をずっと考え続ける必要があると思います。

四六時中考えることは出来ないけれど、今日という日を迎えて思っていることと、感じたことを素直に書き残しておこうとコラムに書きました。

1日でも早く、被災された方々が復興を実感出来る世の中になりますように。

時間が出来たら、いつか、東北に遊びに行こう。

2015年3月11日

佐藤雄樹


この記事を書いた人

B-THREE BLD.トップスタイリスト・IT部部長佐藤雄樹 【310】
佐賀県唐津市出身。1986.6.11生。
大村美容専門学校卒業後、長崎SHINJU INTERNATIONAL入社。
B-THREE BLD. トップスタイリスト。
「美しい髪を共に創り上げることが出来る人」を目指し、お客様のライフスタイルやご気分に合わせた”似合う”ヘアスタイルを必ずご提案します。
またIT部部長として、同社WEB事業を手がけています。
何事もD.I.Y精神がモットーです。
ご予約やご相談はお気軽にLINE@から。

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